昨晩、台湾人の友達を誘い
「生命(いのち)-希望の贈り物」の試写を観て来た。
海外での評価も高く、昨年の公開時には台湾内で大きな「生命(いのち)」ブームを巻き起こしたというこの映画。
台湾ドキュメンタリー映画界の重鎮・呉乙峰(ウー・イーフォン)監督が、台湾大震災で家族を失くした人々の哀しみの底から再生していく様子を4年間に亘って記録した作品である。
恐らく多数のプレスや映画評論家等も足を運んだであろうから、そのストーリーについては拙筆で語る必要はない気がする。
142分のドキュメンタリー作品を観終え、当時の私自身の記憶や浮かび上がった想い等を残しておきたいと思う。
1999年9月21日未明、マグニチュード7.3の大地震が台湾中部を襲った。
9月上旬にシアトルから一時帰国した私はすぐに台北へと発ち(3週間弱の帰国で2週間は台湾にいた)、奇しくも地震発生前々日に台湾を離れていた。
21日朝、母の「台湾が大変よ!」という声に飛び起きテレビのニュースでその惨況を目の当たりにした時の心情は、どこかぼんやりとしていてはっきりとは思い出せない。
ただ呆然と画面に見入るしかなかったのだろうか。
少し頭が働くようになると、すぐに恩師や台湾中部に住む友人たち等に電話を掛けた。
なかなか通じなかったが、3日ほどすると回線も復活したようでちゃんと繋がるようになった。
幸い、私の友人知人は皆無事だった。
大好きな李老師は「壁にヒビが入ったけど、家族みんな大丈夫。安心して。」と今にも泣き出しそうな私を逆に慰めてくれた。
各メディアが義捐金を募るようになると、僅少額ながらも送金した。
「テーマ:台湾大地震」の投稿の呼びかけに、生まれて初めて新聞に投稿した。
送信後に母から「この日本語ヘン」とダメ出しを食った1枚のファックスは、数日後新聞社から連絡があり、そのまま掲載された。
何を書いたか大意しか覚えていないけれど、タイトルは「親愛的台湾」とした。
親愛なる台湾。大好きな台湾。
温かい人々に、空気に、私はこれまでどれだけ助けられてきたことだろう、少しでも微かでも彼らを支えたい、恩返しがしたい。
そんなことを書き綴った気がする。
台湾人でも台湾生まれでもない私が、涙を堪えながらそう文字にした。
映画のタイトル「生命(いのち)」とは何なのか。
「生きること」とは一体どういうことなのか。
これは普遍的且つ大きすぎるテーマで一言に「こうである」とは言いがたいものだ。
100人いれば100個の、1億人いれば1億個の答えがあるだろう。
「私にとって生命(いのち)って?」と、帰宅途中ずっと考えるも答えが見つからないので、ろんこに訊いてみた。
「いのちって何だろう?分かる?」
ろんこは首を傾げて私の目を見つめ、ゆっくりと瞬きをする。
生命(いのち)ってなんだろう?
ろんこに触れその温かさに、「いのちって、生きるって『あったかい』ってことかな?」とひとりごちてみたりする。
私の中で、体温が生命の絶対的象徴であるということもある。
ただ、誰かを何かを想うことで心に温もりが宿ること、それも「(心身ともに)生きている」からこそ、なのではないかと思うのだ。
何に対しても温かい気持ちを持てない。
それは「生命(いのち)」から一番遠いところにあるような気がするのだ。
終演後、ロビーで握った呉監督の手はとても温かかった。
あの優しい手のひらから生まれた「生命(いのち)-希望の贈り物」が、日本でも多くの方々に観て頂けることを心から祈っている。
頬を伝う温かな涙が生命の温もりを実感させてくれる、秀逸な作品だと私は思う。
** 昨日の試写会は新潟県中越地震チャリティとして開催され、収益金は朝日新聞厚生文化事業団を通じて新潟の復興活動に寄付されるとのことです。
明日16日には神戸市中央区相生町のシーガルホールにて行われる、「台湾-神戸震災被災地市民交流会」(無料)にて同作品が上映されます。
関東では1/29~ポレポレ東中野、関西は2/26~大阪第七藝術劇場他にてロードショー。